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小学校四年生の時、両親が離婚して、父親と二人きりの生活が始まった時。

 

以前より大きく変わったのは食生活でした。母親がいた頃は朝食には、焼き魚と手作りの

 

漬物、卵焼き、煮物まで食卓に並んでました。

 

それが、ご飯と味噌汁だけになり、夕食はそれに付け合せも何もないおかずが一品。

 

父親がつくる毎日の食事でした。

 

家庭内のことは他人には覗けないのでまだ良かったのですが、

 

一番困ったのは行事の時の弁当。

 

たとえば運動会。

 

四年生までは母親の手作り弁当。

 

おせち料理かと思うほど豪勢で周りに気を遣って食べたくらい。

 

それが五年生の時は昼休みに家に帰って一人で朝食の残りのごはんと味噌汁を食べた覚えがある。

 

六年生の時は近所のお母さんたちに一緒に食べようと言ってもらい、

 

また違った意味で周りに気を使うようになりました。

 

最悪は遠足。

 

ブリキの弁当箱に出来合いのハンバーグとフランクフルト・ソーセージ。

 

蓋を開けて、すぐに閉めた。

 

ご飯と焦げ目だけの弁当でした。

 

しかし、「父親の作る弁当はこんなものかな」と漠然と思った。

 

それでも一言も文句を言わず作ってもらえるだけありがたいと思って食べた記憶がある。

 

母親のいた頃の食卓と比べてしまうと、父親との食事は寂しかった。

 

料理上手な母親に育てられ、外食も好きだった母親にはよくレストランにも連れて行ってもらった。

 

ハンバーグやエビフライは家で食べるものとは全然違う!!と感動したのを覚えている。

 

そして、食事は楽しい方がいいと子供の心に思っていた。

 

食事の時、匂いを嗅いでから食べる癖もよく怒られた。

 

「腐ったものを食べるみたいでやめなさい」と。そういうつもりではなかったが、

 

匂いを嗅げば美味しいかどうか、ある程度分かっていた気がする。

 

美味しいもの(特に温かいもの)は必ずいい香りがすると思っていた。

 

お肉も一口食べると「今日はいいお肉だね」「今日は安い肉だろ」と何気ない子供の一言に「よくわかるね」と感心していた。

 

そういう環境で育ててもらったことを感謝しなければならない。

 

いつも母親には「台所で男の子がウロウロしないの」と言われていたので、料理を手伝った経験はほとんどない。

 

小学校五年生の時、親戚のおばさんたちが家に来て料理を作ってくれて、

 

父親と二人暮らしのわびしい食卓に久しぶりにご馳走が並んだ。

 

その時、一つ上の従兄と一つずつ大きなサラダボウルに「好きなように盛り付けてごらん」と言われ、やったことがある。

 

出来上がったものを見て、おばさんたちに「すごくきれいだね。

 

どうやって盛り付けたの?」とすごく褒められたことを覚えている。

 

そして、中学生になって父親と二人暮らしの同級生が毎日、豪勢な弁当を持ってくる。

 

不思議に思って聞いてみると「うちのお父さんコックさんやから」と言う。

 

「料理人ってすごいなあ」とその時思ったものです。

 

高校三年生の時、仲のいい同級生が「これからは職人の時代や!!」といって調理師専門学校へ行くという。

 

それなら自分もといった何とも単純な決断で料理人としての第一歩を踏み出してから今現在に至っています。

 

※詳しくは2004年に出版しました、『俺はあきらめない!!「不良少年フレンチシェフになる」の第一章~不良少年の挑戦』を是非ご覧下さい。

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こちらをクリック→https://blogs.yahoo.co.jp/la_palmedor/9940190.html

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人生とは本当に分からないものです。

 

高校3年生の時、同級生が料理人になると言わなかったら今の自分は無かったかもしれません。

 

調理師学校へ行くと決めた時もリンゴの皮すら上手に剥けなかった自分が長い間この仕事を続けられたこともです。

 

周りにいるスタッフや家族に感謝しなければなりません。

 

今日で55才。コックコートを着てあと10年は頑張り続けたいと思っています!!

 

今後も各店共々よろしくお願い申し上げます。

 

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